2020年1月30日木曜日

塾で学ぶメリットは?

塾へはなんのために通うのでしょう?
学校の授業に追いつくため、わからないところを聞くため、入試に向けて鍛えるため、勉強時間を確保するため、、、なんて答えますか?    

塾に行かなくても勉強自体はできます

最近は、ネット環境のおかげで、家に居ながらにしても勉強する手段はいろいろ増えました。
ネット予備校として、中高生向けの授業を配信するところも増えました。
動画サイトを探してみれば、質の良し悪しはともかくとしても、無償で授業をしているものも数多く見られます。
探せば無料で問題を公開しているサイトも見つかりますし、解説ももしかしたら学校の授業より細かくしているところもあるでしょう。
参考書の書評サイトなども豊富だし、amazonなどではボタン一つで新品同様の古本を安く手に入れることもできます。

なので、「別にわざわざ塾に行かなくても、自宅学習で十分間に合う」という考えもわかります。
しかし、塾の存在意義って、教材を用意すること、問題の解説をすること、それだけでしょうか?

学習指導面での役割

twitterで常々投げかけていることですが、学習指導という面で考えると、自分の仕事の大半は<見ること>と<選ぶこと>だと思っています。
問題の解き方や学習への取り組み方そのものを通して生徒さんの現状の力をきちんと見、その上で、目標とあわせてデータやこれまでの経験を参照し、その結果、できる限り効率よく学習成果をあげていくためにはどの問題から手を付けていくかを選び、またその定着の様子を見て次の手を考えるのです。

もちろん、時間をかけて問題集数冊を丸ごと全部こなしていけば、それなりの力はつきます。
しかし、実際には問題集に収録されている問題にも軽重があり、先々へ繋がるような重要な問題もあれば、一方ではその場限りで終わってしまう、しかもかなり特殊な例でほぼ見かけることのないような問題も収録されています。
いくら勉強時間を確保したところで問題と向き合える時間は限られていますから、それらの全ての問題を同じペースで解き続けていくというのは現実的ではありません。
つまり、問題を解かせることや解説をすることの前に、「どういった能力を鍛えるために、どの問題をどう使うか」をきちんと選ぶ作業があり、場合によっては内容を大胆に絞ったりもしくは補充したりする必要があります
その、見積りや計画こそが生徒の学習効率とその後の成果に関わってくるわけです。

それは、科目の全体像が見えており、学年が進んださらに先の学習でどういった知識と技術が必要とされているかを知っており、今の生徒の力から考えて何を補強していくことが必要か判断ができるからこそ可能なことです。
習いたての生徒本人が見込む「枠で囲まれているから覚えなきゃダメなんだろう」とか「問題は解けてるからこれくらいでいいだろう」ほど不確かなものはありませんし、「自分はこうやった」というデータ数1の経験談も、たまたまその人がそうであっただけで、その手法が誰にでも適用できる一般化できるものとは限らないのです。

身につけておくべきことをきちんと絞り、必要なところまできちんと掘り下げているからこそ知識が先へ繋がるのであって、全体像も見えない中ではあれもこれもやったからといって何が重要なのかはなかなかわかるものではありません。
焦点をはっきりさせ、先を見据えた指導ができるところにこそ我々の強みがあります。
逆に、指導者がこのような選別ができずに「全部解いとけ」「全部覚えろ」みたいなことを言い出すのであれば、それこそ「自分で問題集と参考書を買って丸ごと読んでいた方がマシ」とも言えるでしょう。

情報提供者としての役割

教室まで来ていただいて、もしくはメールや電話で学習相談を受けることが度々あります。
その中には「どこどこの塾に通っていて」とか「家庭教師に来てもらっていたが」という方もいらっしゃるのですが、一通り話を聞いて私が驚くのは、その方の持っている情報の不確かさです。

曰く「内申がこのランクでは○○高は受験できないと聞いた」
曰く「部活を続けなければ内申が不利になると聞いた」
曰く「検定を取りまくればたいそう有利に働くらしい」
曰く「(学力が遠く及んでいなくても)教育大・小樽商大くらいであれば狙えると聞いている」
曰く「センター利用方式での私大受験がお手軽なので、本命は少し冒険するくらいでいいと言われた」
曰く「進路希望がないなら、とりあえず国立理系コースを選ぶのがいいと言われた」 などなど。

「いや、その状態で本当に受験を迎えるつもりだったんですか?」「そんないい加減な話、真に受けていたんですか?」と真顔で言いたくなることがしばしばあります。
主に大学受験に関してですが、あまりの見通しの甘さに「今おっしゃったそのお話はどれも現実的ではないので、1から考え直したほうが良いかと思います。」と高3の夏を過ぎた頃に話したことも数度あります。
それくらい、噂程度の不確かな情報に対して不用意というか、怪しげな情報を鵜呑みにして信じきっている方が少なくないのです。
しかも、信じていることの多くは、それが間違いだと知らずに過ぎれば、修正が効かず後々不利に働くことが多いもの。
眉唾な話を長いこと鵜呑みにしてきたことを責めても今更しょうがないわけですが、中3や高3の夏以降の、もうほぼ路線変更ができないような時期になって「いや、そんな話は初めて聞きました」と言われたことの多さを考えると、「なんでちゃんと分かる人に聞かないで、そんなふわふわしたいい加減な話を信じてここまで来たの?」とも言いたくなります。

おそらく学校でも進路説明は催されているでしょうし、何らかの形で進路情報などは提供されているでしょう。
しかし、多くの場合、過去のデータの羅列でしかなったり、概略をなぞる程度の説明しかなかったりで、肝心な部分はぼかされていたりしているようです。
学校で担任と面談があるといっても、生徒から聞く限り、その担任自体が進路についてまるで詳しくなく、中身の薄い形ばかりの面談に終わることも少なくはないようです。
信用に足ると思っていた限られた情報源の中から、不確かな、しかも多くの場合は甘めの情報を掴まされ真に受けてしまうわけですから、気付いたら取り返しがつかないほど進む方向がズレていても、なかなか自分では気付かないものなのかもしれません。
そうなると、信頼できる情報をどこから仕入れるか、ということになります。

もちろん、ネットを検索すれば自分で情報を探しだすことも可能でしょう。
ですが、これだけ多くの人が情報を発信している中で、信用に足るかどうかをどうやって評価しますか?
また、地域も今置かれている状況も目指す先の目標もひとりひとり微妙に違っているのに、その差を加味することなく一般論だけ集めることは本当に目的に適うでしょうか?

アタリマエのことですがー

生徒当人にとっては、中高生としての時間を過ごすのは1度きりのことです。
いくら「あぁ中1の頃にもうちょっと勉強しておけば」とか「もう少し早くに受験勉強を始めていれば」とか言ったところで、やり直すことはできません。
おそらく親御さんにとっても、せいぜい兄弟姉妹は2人か3人という場合が多いでしょう。
その兄弟姉妹もそれぞれ別の個性があって上の子と下の子が全く同じ道をたどるなんてことはまずありません。
だから、いくら「上の子がこうだったからー」とか「近所の方からこんな話を聞いたので」と言ってみても、親子ともども、どの時点で何をしておくべきかが見えぬままに手探りで先に進まざるをえないわけです。

しかし、我々指導者側からしてみたら、既に何人もの中高生を、受験生を見た上での判断になります。
「どの時期にどんなことを知っておき、どういったところに気をつけて、どれくらいのことまでしておけばいいか」を中高生を見つつ指導しつつ知っているのが何よりの強みで、そこに「この子は今こういう状態だから」という判断が加わるからこそ、「今何をすべきか」を選び伝えることもできるのです。
この「もう少ししたらこうなるから、今のうちにこれをこれくらいはしておいた方がいい」と判断できる眼が、我々にとってなによりの武器になります。

さて、これをお読みのみなさんは、そういった確かな眼を持った方を周りに見つけられているでしょうか。

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